CATEGORY:社長の視点

才能を使わないのは失礼だ

人それぞれ、才能がある。

例え、今開花していなくても「人より優れている部分」は必ずある。

そして、その「才能」というのは、思った以上に些細でふわっとしているものだ。

もしかしたら、才能ではなく「短所」として言われてきたことかもしれない。

誰にでも、思い返せば「人より優れてるかも?」とか「昔からよく言われる」といった特徴があるはずだ。

例えば
計算が早いとか、教えるのが上手いとか、リーダーシップがあるとか、意見をまとめるのが上手いとか、考えるのが得意とか、人の気持ちを汲めるとか、パソコン操作が得意とか…

見た目でもいい。
顔がいいとか、優しそうとか、スタイルがいいとか、威圧感があるとか。

とにかく、どんな些細なことでも「才能の片鱗」となる特徴はある。

もちろん僕自身もそうだ。

性格、考え方、人柄、感性、見た目まで
「平松恭兵って〇〇だよね」
といった些細な特徴がたくさんある。

で、何が言いたいかというと…

「その才能の片鱗を爆発させようぜ」
ということだ。

僕はどちらかと言うと、褒められたり評価されると謙遜してきた。

謙遜することは美徳かもしれないが、そのせいで自分の可能性に蓋をしていたかもしれない。

謙虚であることは大事である。

ただし、蓋をするのは、他者に対して失礼な気がして仕方がないのだ。

「僕が自分の才能を認めて、堂々と武器にするだけで、
もっと誰かの力になることができるんじゃないか?」

そう思った時から、僕は「遠慮する」ということをやめてみた。

僕自身の持つ、性格、考え方、人柄、感性、見た目…
そういった特徴を「人のために」フルに使ってやろうと思ったのだ。

クライアントに対しても、友人に対しても、家族に対しても、初対面の人に対しても…

「自分なんか大したことないです〜」と逃げて才能を隠すのではなく、「その人のために」持てる全てを使って接してみた。

結果、前よりも確実に相手の力になれている感覚がある。

調子に乗れと言っている訳じゃなく。

自信過剰になれと言っている訳じゃなく。

単に、自分の特徴を認めて求めている人のために爆発させるだけだ。

そこに困っている人がいる。

助けられる武器を自分は持っている。

にも関わらず、それを使わない理由はなんだ?

謙遜や謙虚を盾に、自信の無さや責任から逃げているだけではないか。

才能があるのに、必要とする人に届けないのは失礼だ。

だから僕は自分の才能を堂々と認める。

遠慮して無難なコミュニケーションを取るより、爆発させて力になりたい。

自分の才能を以って、人のために全力で向き合うことに決めたのだ。

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